宙のアルバム

猫の宙を中心に最近の話題から家庭の出来事気まぐれに書きます。

たけし 長良さんに最後の別れ「早すぎだなあ」

米ハワイで2日にゴルフのプレー中の事故により74歳で他界した大手芸能事務所「長良グループ」会長の長良じゅん(ながら・じゅん=本名神林義忠、かんばやし・よしただ)さんの本葬が22日、東京・青山葬儀所で営まれた。芸能関係者ら5000人以上が参列。所属歌手の氷川きよし(34)は「会長の魂は永遠に僕の心の中に生きている」と話し、恩返しを誓った。氷川の名付け親のビートたけし(65)も早すぎる死を悼んだ。

 たけしはにこやかに笑う長良さんの遺影を見つめ、静かに手を合わせた。焼香を済ませ、足早に会場を後にしようとしたところ、スポニチ本紙の取材に「早すぎだなあ」と漏らした。

 99年秋に長良さんからデビュー前の氷川を紹介され、芸名をつけた。「氷川きよしがあんなに当たるなんて思わなかった。もっと(長良さんに)小遣いをもらって、おごってもらえば良かった。早すぎだな」。たけしらしい別れの言葉だった。

 「たけし軍団」のタレント以外で名前を付けるのは異例のことだった。長良さんが「40年に一度の大勝負」と力を入れる姿に、普段は人を食ったような芸名を付けるたけしも、イケメンの新人演歌歌手にピッタリの名前を考えた。ヒット祈願や新曲発表会にも駆けつけ、紅白歌合戦に初出場した時にはステージに乱入した。葬儀で多くは語らなかったが、公私で世話になったこともある恩人との突然の別れを受け入れたくない様子だった。

 氷川は葬儀終了後、報道陣に長良さんが愛した演歌を歌い継いでいくことを誓った。「お別れさせていただいたという気持ちはないです。会長の魂は永遠に僕の心の中に生きている。恩返しできるよう、歌手として一人前になるよう前進していくという決意をしました」と神妙な面持ちで語った。

 演歌歌手を目指して上京したが、日の目を見ない日々が3年続いた。「これでダメなら福岡に帰ろう」と会いに行った長良さんに拾われ、歌手として育ててもらった。「たくさん叱(しか)っていただきました。悲しい歌も笑顔で歌いなさい、初心に帰って謙虚に生きなさいと。もっといろんなことを教えていただきたかった」としのんだ。

 7日の奈良公演では泣きながら歌う場面もあったが、この日は「泣いていられない」と涙を見せなかった。「会長が喜んでくださるよう、最高の歌を歌い、最高の振る舞いができる氷川きよしになりたい」と力強く誓った。

 ▼梅宮辰夫(俳優)義理人情にこだわってきた人。腹を割って話せる友達で、酒を飲んで愚痴を言い合った。送る言葉なんてない。俺も近いから「待ってろよ」と言うくらいだ。

 ▼和田アキ子(歌手)親しみを込め「ゴッドファーザー」と呼んでいました。スーツに真っ白なマフラーが印象的で「氷川のことをよろしく頼む」って声をかけてくださる豪快な方でした。

 ▼橋幸夫(歌手)(60年の)第2回日本レコード大賞新人賞をいただいた時からの付き合いで、タレントの気持ちを分かってくれる数少ない人でした。今後は誰に相談すればいいのか。

 ▼内田裕也(ロック歌手)訃報を最初に聞いた時は足が震えた。凄いショックです。氷川くんがデビューする前に、ハワイで曲を聴かされた。「歌はうまいんじゃないですかね」って言ったんですよ。そうしたら、こんなにスターになったから本当にうれしかったんじゃないかな。俺なんかに説教してくれる数少ない人でした。



会長との思い出を語る(左から)水森かおり氷川きよし山川豊田川寿美
Photo By スポニチ

弔問に訪れた氷川きよし
Photo By スポニチ